+
「こめっこクラブ」
「育成会」
米子町 ふれあいサロン
8月4日こめっこ・育成会と地元の皆さんで、「七夕の会」を行いました。
七夕飾り作りの後は、こめっこと、参加された、お年寄りの方、育成会、の全員で、お弁当を頂き、皆さんと共に楽しい時間を過ごしました。
その後、育成会のお父さん達が、太い竹を利用して、流し素麺台設置、流しそうめん大会をしました。
子供達、竹で作った器を持ち、そうめんの流れてくるのを待ち構えておりました。
流しそうめんの様子
動画再生&停止は画面クリックお願いします
御祭礼と米子神社神楽囃子
2024年7月20日(土)米子町の夏の風物詩である「御祭礼」が盛大に執り行われました。
米子神社神楽ばやしは、歴史あるもので古く徳川時代に始まったようである、起源は高甫村上八町から伝授されたものと里老から言い伝えられている。上八町は保科村から伝授されたものといわれている。
この、はやしを、大別して一「昇殿」、二、「宮かぐら」、三、「勇み」、四、「宮下し」、獅子では一、「しょつきり」、二、「幌」、三、「おん幣」、四、「かた拍子」ととあり、その他に「面神楽」がある。
以下これらを解說して見ると、「昇殿」から「宮下し」までは道中ばやしといわれる通り、道中や通常に奏せられるものを言う。「昇殿」は極最初に奏するもので、練習の基礎をなすもので、奏楽時間は一番短い。「宮神楽」その次に演奏されるもので、奏楽時間は「昇殿」よりは長い。普通この道中雜には「昇殿」と「宮神楽」をセツトして奏楽される。次の「勇み」は道中神楽が一休みする直前に奏するもので、昔から神楽行列が、ひと休みする場所が決まつて居た。「宮下し」は字の通り神楽を下した時に切り替えるものでテンポが早い。「勇み」も字の通り勇ましい曲である。
次に獅子について説明して見よう。最初に獅子を舞う時間帯になると、「しょつきり」を奏舞する。これは獅子が幌を投げるまで続けて繰り返す。獅子が幌を投げると太鼓叩きが「起きたれや」と掛け声を掛けると、幌による獅子舞いがはじまる。
これが終わると、獅子は御幣(おんベい)と鈴の舞に移る。これが終わると獅子舞が終る。
余談であるが、獅子の御幣の時に幌を首に巻いて居る面の人が、二回「ひょうきん」な風刺したことを言う事になつて居る。この二、三例を記述して見る。
(一)「擦つた々々々すりこえん棒に味噌がごてごて、とっついた」。
(二)「一丁二丁三丁とはお豆腐の事だいな」。
(三)「負ぶつた子も抱いた子も抱いた子も皆婆婆さんの孫じゃいな」。
(四)「牛の角に蜂が刺しても痛くも痒くも、なつちよもない」
(五)「まか真赤な烏猫が縁の下に舞い上がつた」。
(六)「兄貴おれより年たんと、おやじ男でぼこ産まぬ」。
其の他ここに記述出来ない卑猥な文句も二~三ある。
過去二百年来の米子の「米子神社神楽はやし」を末永く保存し、後世に受け継ぐ事を望むものである。
米子神社神楽ばやしについて「米子村志」、編者竹前利男氏より
田植え体験交流会(第2回)
ビートルイレブンのみんな米子町にようこそ!!
2024年6月2日、昨年に引き続き東京都板橋区のビートルイレブンの皆さんを招いて地元の子供たちと、田植え体験交流会を行いました。
当日は残念ながらいつ雨が降ってもおかしくない空模様、降水確率は前日から100%・・・、ですが、なんとか途中まで雨も持ちこたえ、おたまじゃくしの泳ぐ田んぼに裸足で入り、みんな泥んこになりながら楽しく田植えをする事が出来ました。
まずは初めの会、みんなで自己紹介
でんぞう先生、きんぞう先生による田植え指導
皆さん宜しくお願いします
みんなも真剣です。
田植え体験は、今回で二回目、みんな頑張れ~
いざ出陣
裸足で入るのは勇気がいるよね
(ビートルイレブンの皆さん)
みんな、上手じゃん(地元の皆さん)
残念ながら雨がポツポツと・・、頑張って半分くらいは植えました。
みんな泥んこだ~
脇の側溝で泥を落として
美味しいカレーが待ってるよ~
地元のお母さんが沢山 美味しいカレーを作ってくれました。
美味しい?おかわり有るからいっぱい食べてね、雨で寒かったから暖かいカレーはさらに美味しく
皆さん、お疲れさまでした・・、秋の収穫の時はみんなで来てね~
皆に感想を聞きました。
みんなありがとう
水稲生育状況(7月29日撮影)
(毎月更新予定)
米子火祭り(どんど焼き)
1月の行事は、まずどんど焼きですよね!!米子のどんど焼きは他とはちょっと違い、大人と子供が火付け合戦をします。昔は大人同士で、勇ましく行っていた様です。
「十五日、松の木を切って櫓(やぐら)を組み子供達が、各戸より薪 書初め、だるまを集めて夜これを焼く、大小二個作り、火をつける人とこれを消す人と勇壮に攻防を繰り広げる。特に上米子のは有名である。そばの道祖神には男女のコケシとお燈明を上げてお参りをする。これは良縁、子孫繁栄を祈った火祭りで、村の守り神である道祖神様のお祭りである。」米子村志より(竹前利男 著)